人物紹介

メンタルトレーナー久瑠 あさ美

人生は劇的にしか変わらない行動と結果を変えるマインドの法則

 「人を動かす原動力は、何かを求める衝動【Want】です。そして、人生が変わるときは、徐々にではなく必ず劇的に変化します。」と語るメンタルトレーナーの久瑠あさ美さんは、モデル・女優という華々しい業界からメンタルトレーナーとなった、異色の経歴の持ち主です。
久瑠さんは、有名ファッション誌のモデルを務め、数々のCMやテレビドラマなどにも出演していましたが、あるとき、仕事を通じて出逢った精神科医から、「あなたは心理の世界に向いているから、ウチのクリニックで働かないか?」と誘われます。「心理学のことなど何もわかりませんでしたが、とっさに『やりたい!』と感じ、心理学の世界に飛び込みました。」と語ります。
また、同じころ、住んでいたマンションの上の階が火事になり、自身の部屋も焼けてしまうというアクシデントにみまわれます。
「仮住まいのホテルから焼けた自宅まで、フラフラと出かけては、思い出の品を探す最悪の時期でした。でもある日、フッと我に返って、『自分は心を癒やすために思い出を探していたんだ』ということに気付いたでんす。よりいっそう心というものに興味が湧いた出来事でした。」と振り返ります。
数年間クリニックに勤務して経験を積んだのち、自身のカウンセリングルームを開設した久瑠さん。
心や考え方、視点の切換えを促すことで行動を変え、より高いパフォーマンスを発揮できるように導くメンタルトレーニングが評判を呼び、元ソフトバンクホークスの川崎宗則選手や女子プロゴルファーの金田久美子選手などトップアスリートをはじめ、数々の企業経営者やビジネスパーソン、受験生などからも絶大な信頼を得ています。
意識の九割を占める潜在意識からの【Want】に従い、自身も劇的に人生を変化させてきた久瑠さん。
アースデーの講演では、みなさんの劇的な変化のきっかけになる、わかりやすい【マインドの法則】を伝えて下さいます。
ビジネスやスポーツだけでなく、家庭や恋愛、人間関係をより楽しく豊かにするヒントがいっぱいの時間になりますので、ぜひお楽しみになさっていて下さい。

久瑠あさ美(くる・あさみ)
「JJ」「Ray」のファッションモデルとして活動後、 多数の大手企業CMに出演し、TVドラマ/CF/映画、雑誌連載コラム、ラジオパーソナリティー多数。 2000年に出演した「未来戦隊タイムレンジャー」のリラ役が有名。その後、精神科・心療内科の心理カウンセラーとしての勤務を経て独立後、プロスポーツ選手のメンタルトレーナーとして積極的に取り組み、各界アーティスト、企業経営者、個人向けのメンタルトレーニングや心理カウンセリングをおこなう。現在東京都内に設立したメンタルルーム(ff Mental Room)の代表を務めている。心を創る「マインド塾」、「メンタルトレーナー養成塾」を主宰。メンタルトレーナーとしてのメディア出演も多数。講演活動、作家としても執筆多数。

争わない弁護士秋山 佳胤

善悪を超えて調和へ『誰とも争わない生き方』

 あなたは『争わない弁護士』と聴いて、どんなイメージが思い浮かぶでしょうか?
来る4月3日(木)、高山市民文化会館でお話し下さる秋山佳胤(よしたね)さんは、そんな『争わない弁護士」です。
『争わない』と言っても、裁判をしないわけではありません。むしろ、特許や著作権等の権利関係という非常にシビアな分野を専門とする弁護士として、国際的な裁判にも関わり活躍なさっています。
秋山さんの『争わない』とは、たとえ訴訟相手であっても、相手を憎んだり、心理的に対立するのではなく、同じ星に暮らしている同胞であることを意識し、愛を送りながら向き合うことを言います。
秋山さんがこのような考え方に至ったのには、こんなきっかけがあったそうです。
「以前は、多くの人と同じように、白黒、善悪という二元論的な見方で仕事をしていました。しかし、ある大きな訴訟の相手となった会社の経営者が、我々の話しに真摯に耳を傾け、正直に自分たちの否を認めてスムーズに解決へ至ったという経験をしたのです。私が事前の調査で得ていたその経営者の評判からは、想像もつかない対応でした。その誠実な姿勢には、私の依頼人も『人を信頼する気持ちを思い出しました。』と感激されるほどでした。
この経験から、私は、相手の本質と宇宙の流れを信頼し、愛や祈りを送りながら仕事をするようになりました。そして不思議な事に、そのようなスタンスで相手と向き合っていくと、事件が思いがけない程スムーズに解決へ向かうケースが増えたのです。」
同種療法であるホメオパシーとの出逢いをきっかけに、スピリチュアルな意識が拡大したと言う秋山さん。
世界的に著名な不食者(日常生活で食事を必要としない人)ジャスムヒーンさんとの出逢いをきっかけに、秋山さん自身も『不食生活』を実践していらっしゃり、また、一昨年には、代替療法の分野で医学博士号を取得されるなど、食、病気、薬、予防接種といった健康について知識も幅広く、全国各地で講演会も開催されています。
今回の高山での講演でも、宇宙や魂の次元から見た『自由意思の尊重』や『その人らしい人生の創造の素晴らしさ』といった視点も織り交ぜながら、私たちに大切な情報を伝えて下さいますので、ぜひ多くの方にお越し頂きたいと思います。

秋山佳胤(あきやま・よしたね)
知的財産権管理を専門とする弁護士として世界的に活躍されておられる秋山先生は、オーストラリア在住の不食の女性ジャスムヒーンさんと出逢い、完全不食を実行してから既に9年。風邪一つ引いたことのない健康体になり、睡眠も最小限度(約2時間)、肉体を休める為に横になる程度で良くなったそうだ。また、ホメオパシーなど代替医療の医学分野で博士号を取得され、日本ホメオパシー医学協会理事やホメオパシー発祥の地である英国のホメオパシー協会員として、健康相談も受けてます。さらにコーヒーの焙煎歴においては20年以上の実績があり、ロータスコーヒーの名前で商標登録もされている。

ホテルアソシア名古屋ターミナル元総支配人柴田 秋雄

ホテルアソシア名古屋ターミナルの挑戦『日本一幸せな従業員をつくる』

 「かつて労働組合の委員長だった私が経営者になった。
4期も赤字が続くドロ沼状態のホテルの、である。
そのホテルが七期黒字を続けている。それはなぜか。私は、すべての従業員と家族、そして心通う人たちとの感動の共有があったからだと確信している。
そのためには従業員たちにも辛い思いをさせた。厳しいことも言ってきた。それはすべての従業員と家族を幸せにし、どこよりも人に優しいホテルをつくりたかったからだ」。
柴田さんの著書『柴田秋雄のホテル再生物語』は、こんなプロローグから始まる。
1974(昭和49)年にオープンしたホテルアソシア名古屋ターミナル(当時は名古屋ターミナルホテル)は、1992(平成4年)年のピークを境に、業績はかげりを見せはじめた。しかも、バブルが崩壊し、日本の経済が冷え込んできた影響もあった。そしてそれは予想よりもはるかに深刻で、ホテルでも不採算部門のてこ入れなどが功を奏さず、すでに万策が尽きていた。
そのころ販売部次長だった柴田さんは、いわば中間管理職。従業員や組合員の生の声を聞いていると、会社側と従業員との間にはひどい温度差があることに気付いた。
元労働組合の書記長であり委員長だった柴田さんは、労働運動で培った視点を活かすことにした。「従業員がどうすれば幸せになれるか、どうモチベーションを高めるか」という労働運動の原点に着目した。
「従業員の心を知り、心をつくりあげていけば、ひょっとするとこのホテルにも、もう一度チャンスが訪れるかもしれない。このときほんのわずかだが思った」という柴田さん。その後、取締役総支配人となって取り組んだ柴田流の再建策は、リストラでも、成果主義導入でもなかった。従業員が参加して、経営理念をつくり、みんなで合宿して夜を徹して夢を語り合った。「日本一幸せな従業員をつくる」ことをめざして。


ホテルの経営に携わってみて、「会社の役割」について考えさせられています。
人づくりには家庭教育、学校教育とともに、「企業教育」が大切です。従業員を幸せにすること、人を騙したり、嘘をついたりしない、優しい従業員をつくることです。私たちが会社の経営理念に「すべての活力の源泉は人である」と決め、日本一幸せな従業員をつくると決めたのは、そこに会社の役割があるからです。働く人は「物」でなく大切な人間です。要らなくなったら捨てる、年をとったら必要ないというものではありません。世の中に必要としない人間など一人もいないのです。
柴田さんは、著書のあとがきにこう記しています。

秋山佳胤(あきやま・よしたね)
知的財産権管理を専門とする弁護士として世界的に活躍されておられる秋山先生は、オーストラリア在住の不食の女性ジャスムヒーンさんと出逢い、完全不食を実行してから既に9年。風邪一つ引いたことのない健康体になり、睡眠も最小限度(約2時間)、肉体を休める為に横になる程度で良くなったそうだ。また、ホメオパシーなど代替医療の医学分野で博士号を取得され、日本ホメオパシー医学協会理事やホメオパシー発祥の地である英国のホメオパシー協会員として、健康相談も受けてます。さらにコーヒーの焙煎歴においては20年以上の実績があり、ロータスコーヒーの名前で商標登録もされている。

てんつくマン&薮原秀樹

声なき声が聞こえてくるてんつく・やぶちゃん衝撃的【ガチ聞き】セミナー

  薮原秀樹さん通称「やぶちゃん」は全国をかけめぐり、出逢う人の話を聞きつづけている【聞く匠】です。
やぶちゃんが提唱する【わもん】は、西洋的なコーチング技術に、東洋の禅の要素を組み合わせた独特の聞き方。話し手が発する【声なき声】にまで耳を傾け、寄り沿うように、ひたすら相手の話を聞き、その人の本質や問題解決の糸口を導き出します。実際に体験した方からは、「心の奥底に眠っていた感情や本当の想いが浮かび上がってきた」という感想が日々寄せられています。 
また、やぶちゃんは、総理大臣経験者を始めとした有名政治家や、日本コーチング界の第一人者 本間正人氏のコーチ、そして東日本大震災後には、厳戒態勢の福島第一原発で、吉田所長(当時)と作業員250名のメンタルケアも行ってきました。 
そんな聞く匠 やぶちゃんと、元吉本芸人で、現在は各地で講演会やワークショップを開催している、しゃべりの達人 てんつくマンが出逢ったのは、2年前のアースデー飛騨高山でした。ゲストとしてお招きしていた2人は、楽屋裏で出逢い意気投合。
やぶちゃんから【わもん】を受けたてんつくマンは、心が丸裸にされ、気付いていなかった自分の本心や本質を知ったと言います。
教育や仕事、家族関係など、人生の様々な場面における【わもん】の大きな可能性を実感したてんつくマンは、わもんを学び伝えるようになりました。
そして今回、互いの心をさらけ出し、真剣勝負の様に話を聞くことから、【ガチ聞き】セミナーと名付け、2人のコラボレーションによる全国ツアーが実現。2年の歳月を越えて高山で開催される今回のセミナーでも、きっと沢山の笑顔や喜び、涙が生まれ、自分自身の人生の使命(ミッション)を発見する方が現れることでしょう。
普段なにげなく聞いている、お子さんやパートナー、お客様や仕事仲間の話も【わもん】を意識することで、相手が本当に伝えたい【声なき声】がきっと聞こえてきます。大切な誰かと、今以上に分かり合いたい人、より良い関係を築きたい人には必見の【ガチ聞き】 セミナーです。

雲 黒斎

すべてのいのちはつながっている!あの世に聞いたこの世の仕組み講演会

 一度聴いたら忘れられない、冗談のようなペンネームで書かれたブログ【あの世に聞いた この世の仕組み】が、話題を呼んで書籍化され、シリーズ二作で累計13万部を超えるベストセラーに。
オンラインショップAmazonの国内部門別ランキングでも、常に上位を維持している雲黒斎さん。
著者本人が、複雑な生い立ちや仕事のストレスなどが原因で、セロトニン欠乏のうつ状態と診断され、苦しんでいたある日にどこからともなく聴こえて来た守護霊の声。 
黒斎さん自身、元来はスピリチュアルやオカルト、死後の世界などには否定的だったそうですが、聞こえてくる声は、黒斎さんがうつ状態となった心理的な背景を論理的に語り、納得させられることや、気付かされることばかり。それを機に、症状は回復へ向かいました。
とうとう、あの世や目に見えない存在を信じざるを得なくなったという黒斎さん。守護霊との交流を重ねていたある日、「すべてのいのちはつながっている!」という強烈な実感が訪れ、世界観・人生観が根底から変わったと言います。
そして、将来自分と同じような体験をする人たちへのガイドとなるようにと、守護霊には【雲さん】と、自身には【黒斎】と名付けて、そのやりとりを記したブログを立ち上げました。
ペンネームの由来は、守護霊との会話というテーマは、きっと「胡散臭い」と思われるに違いないだろうから、開き直りの意味も込め、「ウサンクサイ」をもじって「ウン・コクサイ」にしたのだそうです。 
スピリチュアルな分野で語られる、ワンネス・すべての存在はつながっているってどういうこと? うつを引き起こす心のメカニズムって? 自我やカルマ、アセンションってどんなもの? いまここに生きるってどういうこと?
高山での講演では、そんな数々の疑問や不思議に、心理学や禅、宗教的な視点も織り交ぜながら、びっくりするくらい楽しくって、拍子抜けするほどわかりやすい、目からうろこポロポロと何枚も落ちる【あの世に聞いた この世の仕組み】で答えて下さいます。
真剣だけど深刻じゃない、笑いと自然体で新しいこの世を開く雲黒斎さんの講演会は、アースデー飛騨高山の2日目、6月1日13時からスタート。岐阜県初開催です!

木村秋則

TV番組プロフェショナルで大反響。映画「奇跡のリンゴ」で日本中が涙。木村秋則さん

「すごいね、かわいいな、タンスに入れてしまっておこうか。はっはっはっ」。
その男が見つめる先にはもぎとったばかりのりんごがあります。津軽弁を話す口元、ハの字に下がる目尻。
どんな人にも同じように笑いかける屈託のない男の姿からは、死を覚悟してロープまで手にした、壮絶な苦労があったとは想像もできません。
人生のドン底からはいあがってきた人だけが放つ、突き抜けた笑顔。彼はニュートンよりも、ライト兄弟よりも偉大な奇跡を成し遂げた「りんご農家」なのです。
7年前、TV番組プロフェッショナル・仕事の流儀(NHK)にその男が登場しました。彼がつくるリンゴはインターネットで販売されるやいなや、10分で売り切れてしまうほどの大人気で、それは現在でも変わることがないと言います。りんごに秘密があるのか、それとも生産者に人気があるのか。その答えは番組で解明されました。

農薬も肥料も使わず、りんごを実らせる。

 その男、木村秋則さん(65歳)。彼はりんごの生産地で有名な青森県中津軽郡岩木町で生まれました。彼の家もりんご農家ですが、幼い頃からラジオやテレビ、そしてオートバイなどを分解し、中がどうなっているのかを知りたがるような機械好きでした。その好奇心ぶりは家族があきれるほど、徹底していたのです。(この性格がのちに家族を苦しめることになる)
やがて明確な答えがでる数字の世界に興味をもった彼は、お天道様頼りで収穫が左右されてしまうようなりんご農家に背を向け、あこがれの都会で企業に就職しました。ところが数年後、「帰って仕事を手伝え」と実家から呼び戻されてしまったのです。
台風で落下したりんごの後始末や、水没寸前の田んぼの稲刈り。答えがでる数字の世界からはほど遠い現実を見て「だから農業はいやなんだ」と彼は思ったと言います。
そんな彼にある日、婿養子への縁組みの話がのぼりました。お嫁さんは高校の同級生。相手はあれだけ嫌がっていたりんご農家のひとり娘でした。映画「奇跡のりんご」では残雪の岩木山を前に木村さん役を演じる阿部サダヲが、奥さん役の菅野美穂にプロポーズするシーンがあります。
「心は分解もできねぇ。その答えを一緒に探せねぇかなぁ~」
「そったらこと、探さなくとも答えはでてるぅ、岩木山に聞いてみれぇ」
この日2人は結婚を誓ったが、村八分になるような悲壮な未来が待っているとは、このとき、知る由もなかったのです。

まさに体を張った汗と努力の戦い。

 今、私たちが口にしているりんごは品種改良に改良をくわえて、人間が作り上げた果実です。さわるとゴツゴツとした樹皮。お世辞にも美しいとは言えない枝ぶりは、老木と見間違うかのように折れ曲がっています。だからこそ、風雪に耐えてりんごの実をたわわに実らせた姿は尊く、美しい。しかしそんなりんごは農薬がなければできないのです。
りんご農家の子どもは物心ついた頃から農薬を散布する親の姿を見て育ちます。使う農薬はダイホルタイン(現在は中止)、石灰ボルドー液(硫酸銅と生石灰の混合液)などで、手散布をすると強い漆にかぶれたようにボロボロになります。奥さんの美千子さんは人一倍肌が弱くて、散布すると1週間は畑に出られないほどだったと言います。青森県のリンゴ生産は文字通りカラダを張った農業の汗と努力によって支えられていたのです。
木村さんは兄の影響を受け、町の図書館にかよい有機栽培に関する書物を読みあさり、堆肥づくりに取組みはじめました。イネクラ、チップカス、カヤなどに鶏糞をくわえ、発酵させた堆肥を使いながら、農薬を減らす。木村さんは生態系農業に関心を持ちはじめました。そんな時、古本屋で1冊の本と劇的な出会をしました。福岡正信さんが書いた自然農法の本には農薬も肥料も使わない。さらに究極は「何もしない」というところに木村さんはひどく感銘を受けました。
婿の木村さんはさっそく義父に畑の1角を農薬なしでやりたいと申し出て、許可をもらいました。農薬を使わないりんご作り。誰もなし得なかった栽培法のはじまりです。始めの年、年間13回散布する農薬を半分の6回に減らしたのですが結果は上々。家族が農薬の被害にあわずに済むのがなによりでした。6回はやがて3回に。そして年に1回の散布へと踏み切りましたが、まずまずの結果が出て木村さんは「これならいける」と有頂天になったと言います。ところが翌年の夏、りんごの枝から葉が落ちだし、9月に花が咲きだしました。本来なら翌年の春に咲く花が狂いだしたのです。来年は間違いなくりんごはできない。この日を境に苦節10年の葛藤の日々が始まりました。

自然の脅威の前ではなすすべもなかった。

 木村さんのりんごの樹には病害虫が増えだし、その数は恐ろしいほどでした。家族は必死で1匹1匹を手でつまんで袋に入れました。その一方でこの世に存在するすべての食品を液状にし散布をはじめます。殺虫効果があるものにいきつくまで、木村さんのりんごの樹は黒星病、斑点落葉病、腐らん病など、あらゆる病気にかかり、瀕死の状態です。最初は応援していた同業からは風あたりが強くなり、自分たちにも被害が及ぶことをおそれた近所の農園は、非難をしはじめました。回覧板や冠婚葬祭の挨拶は来なくなり、無視をされました。仕事で使う車は抵当にとられ、畑まで片道2時間を朝早く歩いて通う毎日。電気はやがて止まり、貧乏のどん底まで家族は落ちてしまったのです。
奥さんの美千子さんは自分の少ない弁当の中からおかずを1品ご主人の弁当へ。子どもはひとつの消しゴムを3つに切って使う。授業参観で作文を読んだ長女は、 「父が作るりんごをいまだ食べたことがない」と語り、まわりの親から失笑を買うありさまでした。それでも妻も子どもたちも父のフロンティア精神を陰で応援し続けたのです。
内緒で電気料金を払っていた友人は、「なしてそこまでするのか」と、自己満足のための家族を犠牲にしている木村さんを叱咤し、殴りました。それでも木村さんはあきらめることなく、考えられるだけの食品を使い散布しましたが、りんごは花を結ぶことはなく、わずかな野菜を収穫して飢えをしのぐような毎日が続きました。

死んで家族にお詫びしよう。

 なす術をすべて失った木村さんは、ついに死を覚悟しました。
「死んで詫びるしかない」
納屋から1本のロープを手に、いつも仰ぎ見ている岩木山へと木村さんは向かいました。暗闇が山を覆う頃、死に場所に選んだ樹にロープを投げる木村さん。
ところがロープは枝から外れ、向こうの林へ落ちてしまいました。最期の最期までドジな自分を苦笑しながら、ふと見上げると向こうの林からりんごの樹が目に飛び込んできたのです。
「なしてこんな山奥にりんごの樹があるんだべぇか」
走りよった木村さんが目にしたのはりんごではなくどんぐりだったのですが、立っている地べたが布団のようにフワフワだったことにショックを受けました。
思わず手で土を掘り返しました。その土を口にした木村さんは豊穣な味に驚き、山の樹がいかに多くの生態と共生しているのかを身をもって体感したのです。
木村さんの著書に必ずと言っていいほど書いてある 「答えは目に見えないところにある」。
これは科学では解明できない自然の智恵を指しています。
りんごが実を結んでから28年。今でも木村さんの畑は無農薬。シャクトリムシやアブラムシ、ハダニなど無農薬を始めた頃、あれだけいた虫たちはどこにもいません。虫の天敵といわれているハチの仲間がどこからからやってきて駆除をしてくれるからと言います。最終的に木村さんを助けたのは大豆の根粒菌なのですが、土に目を向けながら1本1本、1葉1葉に細やかな観察を怠らない。たえず自分だったらどうなんだろう?と樹へ思いを巡らします。誰よりも心は熱く、誰よりも目が冷静な木村さんだからできる、自然栽培なのです。

努力はけっして無駄にはならなかった。

 りんごのために死まで覚悟した木村さんのりんご畑は、酢の散布にくわえ、雑草も伸び放題。さらに噴霧車を使用せず手で散布することで土を傷めない。りんご畑は山の中で見たドングリの環境に近づけました。
農薬を使わない自然栽培をはじめてから10年目。その春。木村さんのりんご畑は白い陽光に包まれていました。
「よく、頑張ってくれたなあ」
花を結んだ姿を見て、木村さんは奥さんと2人で涙を流して立ち尽くしました。日本酒を手に1本1本に頭をさげ謝る木村さん。
「ありがとう、よく花を咲かせてくれたな」
「なしてこんなになるまで教えてくれなんだのぉ」
りんごの樹に酒をかけながら「まんず苦労をおかけしまた」と感謝の言葉をかける映画のワンシーンは、
宗教画を見るような敬虔な思いに溢れていました。
その年にできた奇跡のりんごはピンポン玉より少し大きなものでしたが、その味は美味しいという言葉以上の何かに満ちていました。
2006年に放映されたプロフェッショナルは大反響をよび、2年後、奇跡のりんごの書籍はベストセラーに。その後、現在にいたるまでに10册ほどの本が出版されています。
木村さんは自分を救ってくれたりんごへの恩に報いるために、本以外にも自然栽培法の普及のため日本全国だけでなく世界まで指導に飛び回っています。その他にもりんご園に訪れた多くの見学者への説明などに明け暮れ、喧噪の日々はおさまり様子もありません。家族の心配をよそに、りんごからもらった命を他のことに使おうと一生懸命なのです。
今、木村さんは縁あって生まれてきた地球をどう未来につなげていけばいいのかを真剣に考えています。奇跡のりんごから始まった木村さんのまなざしはここに来て、私たちが住む地球へと注がれはじめました。
いまも昔も「自然の力」と「人の道理」というものだけは一瞬たりとも変化したことはない。木村さんの講演会を通してみなさんに、そのことをぜひ知っていただきたいと願っています。

サトケン(佐藤研一)

食事で自分の感性を高める生命(いのち)の輝き発見セミナー

 6月1日アースデー飛騨高山二日目で講演して下さる、サトケンこと佐藤研一さんは、前職の広告代理店勤務時代には、年商100億円企業への急成長の貢献が認められ取締役に。同時に関連会社取締役、外資系大手とのジョイントベンチャーの立上げ・経営ボードメンバーも兼任するなど、華々しい経歴の持ち主です。
ビジネスマンとして順風満帆だったある日、海辺を散歩していたサトケンさんは、自然との何気ない関わりの中で、自分の本質とも思える感覚を直感し、確信します。それは、足りないものを外に追い求めるのではなく、自分の内側に本来備わった力や可能性を発揮することこそ、人生の充実感や深い安心感につながるということでした。
【本来の自分に還る】というミッションを明確にしたサトケンさんは、岡山県の自然食料理人 船越康弘さんとの出逢いをきっかけに自然食を学び始め、2009年には、船越さんが経営する宿【百姓屋敷わら】への住込み修行を経験します。
 古今東西の医学・健康法・美容法・心理学・運命論・座禅から瞑想法まで幅広い分野への学びを深めると同時に、体重90キロ以上で生活習慣病寸前であった自身の体も60キロ台まで減量し、数値もすべて正常に。40歳を間近にして、医師から「20歳の身体だ!」と言われるほどの健康体となりました。
現在は、豊富な人生経験をもとに様々な事業を展開し、各地で講演会や料理教室なども開催しているサトケンさん。
今回のトーク&上映会では、そんなサトケンさんの活動に迫ったドキュメンタリー映画『「食べること」で見えてくるもの』も同時に上映し、【本来の自分に還る】ヒントを伝えて下さいます。
同映画には、小脳脊髄変性症という難病を克服し、以来18年間以上にわたり、1日に約50キロカロリーの食事(青汁150mlと少量のサプリメント)だけの生活を続けていることで知られる鍼灸師 森美智代さんや、日本の食文化史研究の第一人者であり、古代食や長寿食、情報化時代の頭脳食などを伝えていらっしゃる永山久夫さんなど、食を通して大切なことを気づかせて下さる方々が登場されます。
サトケンさんのパワフルなトークライブだけでなく、映画『「食べること」で見えてくるもの』にもご期待下さい。

取材・文/中川耕一朗

サトケン(佐藤研一)

● 株式会社焚火 代表取締役、トータルライフコーディネーター
● 国境なき料理団 ミラクルコーディネーター、料理勉強家

1971年生まれ。広告業界から一転、岡山県の自然食宿【わら】のオーナー船越康弘氏に師事し、先人の知恵や食養、東洋哲学などを学ぶ。現在はその経験をベースにして【本来の自分に還る】をコンセプトに、人生相談・出張料理・断食アドバイス・講演・企業研修・イベント・各種プロデュース等で活動中。

監督岩崎靖子

いのちがいのちであれる世界直感に導かれ、映像で伝えるメッセージ

 四月の上映会で好評を頂いた映画「僕のうしろに道はできる」と「日本一幸せな従業員をつくる」。反響を受け、来る八月三日に高山で二本立て上映会を開催します。今回は両作品の生みの親、岩崎靖子監督にお話しをうかがいました。

記者
岩崎さんが映像を撮るようになったきっかけを教えて下さい。
岩崎
10年くらい前、当時会社員をしていた私は、人前が怖く、生きにくさに悩んだ末にコーチングを学び、自分の中に「何かを表現したい!」という情熱が眠っていることを発見しました。
そこでカメラを持ってコーチングの師匠に密着し、ドキュメンタリーDVDを制作したのです。これが初めての作品でした。
記者
岩崎さんは、映画【4分の1奇跡】で知られる入江富美子監督と作品を制作されてきましたが、入江さんとはどんなご縁だったのですか?
岩崎
ふーちゃん(入江富美子さん)は、以前から顔見知り程度の知り合いだったのですが、突然「宇宙に感謝を増やす映画を作るから協力して!」って連絡が来たんです。彼女の情熱に感化されて一緒に映画制作を始めました。それが【4分の1の奇跡】です。
【4分の1の奇跡】は公開後、各地で反響を呼び海外まで拡まっていきました。私は嬉しい半面、監督として一躍人気者になったふーちゃんが妬ましくてしょうがなくなり、仲間の成功を素直に喜べない自分が、鬼のように思え自己嫌悪していました。そんなとき、かっこちゃん(山元加津子さん)が書いた詩の、「きれいなことも、きたないことも、すべては宇宙の約束の現れ」という言葉に救われます。鬼には鬼の悲しさ、苦しみがある。理想とのギャップに苦しんでいた自分を許すことが出来ました。そこから、かっこちゃんの詩や世界観を伝えようと、映画を撮り【宇宙(そら)の約束】という作品が生まれます。
記者
鬼の存在があったから、生み出された作品というのは面白いですね。
岩崎
いま振り返ると、嫉妬はセンサーのようなもので、「私だって出来るのに!」という、自分の願いや可能性を指し示してくれていたのだと思います。だから、鬼の岩崎靖子がいなければ、作品が生まれることもなかったでしょうね。
記者
では、【僕のうしろに道はできる】(以下、僕道)はどんな経緯で生まれたのですか?
岩崎
【宇宙の約束】が完成して間もなく、かっこちゃんから「同僚のみやぷーが倒れて回復は絶望的と言われたけれど、問いかけに反応していることがわかったの!」と連絡が入りました。
『これは大事なことが起きている!』と直感した私は、どうしても撮りたいという衝動に駆られます。理性では、「前作の手直しや残務整理をするべき。新作を撮るなんて。とブレーキをかけるのですが、直感を抑えることが出来ず、そのまま撮影に突入しました。
記者
そのおかげで、医療や介護の常識が変わるような作品が生まれたのですね。【日本一幸せな従業員をつくる】(以下、日本一)はどんなきっかけだったのですか?
岩崎
私があのホテルを知ったのは、営業終了のほんの少し前でした。柴田総支配人と従業員のみなさんがあまりにも素敵なのに感激し、ホテルのストーリーやみんなの働く姿を映像にして、総支配人にプレゼントしようと思い撮影しました。しかし、編集を進める中で『これは身内だけのものにしてはいけない。多くの人に観て、感じてもらいたい。』という思いが強くなり、総支配人や関係者を説得して世に出すことにしたんです。
記者
医療・介護とホテル経営、舞台は違っても、根底にある伝えたいものは共通しているのだと思いますが、ひと言で言うとどんなものでしょうか?
岩崎
私は、『いのちがいのちであれる世界』そんな未来に貢献したいと思っています。閉じ込め症候群となり、意識ある人として扱ってもらえない方を無くしたい。歯車としてではなく、仕事を通じていのちを輝かせる人や会社を増やしたい。根底にある思いは同じです。2つの作品は、舞台の違いから、いっけん異なるテーマなのと思われがちですが、日本一をご覧になった経営者やビジネスマンが、後日、僕道を観てより感銘を受けて下さったりと、相乗効果でメッセージが波及するのを実感しています。高山での上映会は、1日で両作品を観られるまたとない機会です。多くの方にお越し頂きたいですね。

取材・文/中川耕一朗

【作品紹介】 僕のうしろに道はできる

ある日、突然【脳幹出血】で倒れたみやぷーこと宮田俊哉さん。医師は一生意識は戻らず、植物状態だと家族に告げます。しかし、「絶対に良くなる」と信じたのは、同僚で親友のかっこちゃん(山元加津子さん)。【奇跡が奇跡じゃなくなる日】に向けた二人三脚の歩みが、今、世界の希望へ拡がっています。

映画をご覧になった方の感想
  • 看護師をやっています。意識の回復が見込まれない患者さんに関わることがあります。諦めの心が出ることがありましたが、かっこちゃんや紙屋先生の活動を伝えることが、私の役割のように思えてきました。
    下呂市 Kさん
  • 諦めないことの大切さ、信じて疑わない強さの素晴らしさに感動しました。みやぷーとかっこちゃんが歩んでいくうしろに出来た道を、沢山の人たちが歩んでいけるといいなと願いました。
    下呂市 Mさん
  • 以前、叔母が交通事故に遭い、医師からは一生寝たきりと告げられました。家族もそれを覚悟しましたが、叔母の精神力と家族の愛情によって回復し、今でも畑をやって暮らしています。映画もとても素晴らしかったです。私は人間の可能性と奇跡を信じています。
    高山市 Rさん
  • 思いを伝えられないという計り知れない辛さを経験し、伝える手段をやっと手に入れた彼らが綴った言葉に涙が止まりませんでした。
    関市 Tさん

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